隠し記事Vol.III 散り逝く浪士の泡沫の夢

はじめに

隠し記事シリーズ第3弾。この記事は誰にも見られることはない想定でまとめている記事シリーズです。
第2弾は7月に辞めた会社の愚痴のまとめでした。
今回は第1弾とも関連した、去年自分がTwitter(X)で行っていた迷惑行為についての内容を明かせる範囲でまとめたい。
当事者以外には全く内容の伝わらない内容です。また、当事者の方を晒しあげたい・糾弾したいといった意図は一切ございません。この空間は自分のことをまとめる空間です。その記録の一部として1年経過してある程度冷静になったことで明かせる範囲で詳細を書き留めたいと思ったことと、これから先のネットでの活動を本格化するための自分なりに贖罪やケジメをつけたいと考え、まとめるに至りました。
なお、件の方が現在どのような活動されているのか自分は全く存じてはおりません。しかし、この記事のせいで活動の支障になってしまう可能性や身バレ防止の観点から、様々な情報を秘匿および虚偽の内容を意図的に含めます。ご了承ください。
その性質上、お問い合わせなどは一切受け付けておりません。
以上をご理解いただけた方かつ興味のある物好きな方のみ、どうぞ先にお進みください。

出会い(2022年8月22日~2023年)

本記事更新日の10月12日は自分にとって「運命の日」である。
1年前の10月12日、この日は約10カ月かけてやっていたあることを発表した日でした。

それは、「プロフィール」のページでもちらっと触れている、自分が当時推していたある活動者さん(以下大切な友人)の非公式ファンサイトを開設した日でした。
活動者、と書いているように大切な友人はある活動(内容は伏せます)をしていた方で、Twitter(X)において、自分からすれば天文学的数値にも思えるようなフォロワー数のユーザーでした。
当時フォロワー0人で前アカウントのトラブルで人間不信になって心機一転した自分をはじめてフォローしてくださった方で、以後2年半に渡り交友しました。
一方で自分は、
「絶大な影響力のある方からフォローされたのだから、自分は特別扱いされている」
そんな勘違いをしてしまい、振り返れば後述のトラブルに繋がる要素はすでに形成されていたと思います。
また、理由は伏せますがある時期から自分は大切な友人とTwitter(X)の通常のツイート(ポスト)とは別にダイレクトメッセージ(DM)で個人的にやり取りをするようになりました。年数にして約1年半ほど。
DM内では、通常のポストでは書けないようなプライベートな話が多分に含まれていました。大切な友人のお話もたくさん聞きましたし、逆に自分のこともたくさん話して色んな価値観を分かち合うようになりました。大切な友人からダイレクトメッセージで自分に直接連絡を取ったことがそもそものはじまりなのですが、これが前述の自分が特別扱いされていると勘違いした要因その2ともなっております。

2024年の自分が全てを賭けて頑張っていたこと(2024年3月~10月12日)

10月12日と言う日付、実はその方のお誕生日なんです。
曰く、毎年ご家族に「おめでとう」と言われてそれだけで終わる一日であり、特に思い入れがない日だとポストしつつも、毎年そのお話ばかりされていた部分が自分の中で引っかかっていました。
今となってはそれが事実だったのかは自分には分かりませんが、毎年同じ内容のポストをしていたのを見かけ続けていた自分は、誕生日にサプライズをして驚かせられないかなと思いつきました。
話は少しずれますが、上記のサプライズを考えていた時とほぼ同時期に自分はTwitter(X)以外の表現の場所を作りたいと考えていました。
それらが合致した結果、大切な友人の非公式ファンサイトを作ろうという結論に至ります。
活動者と書いているように、大切な友人のこれまでのご経歴をまとめるだけでも十分サイトとして作成することは可能だと構想段階から確信していました。それだけ多くの実績を出されていた方だったんですね。
以上のことを思いついたのが2024年3月の段階で、そこから10月12日まで7カ月かけて完成させようと必死になって、1日も欠かさず全力でファンサイトの制作に取り掛かりました。
しかし、途中になってファンサイトを発表するだけじゃインパクトが足りないと思った自分は、ファンサイトに加えてYoutubeで切り抜き動画チャンネル・コミッションサイトを利用したファンアートの制作も同日に一気に発表して、それを機に大切な友人に関連した二次創作活動を本格的にはじめようと考えました。その活動は最終的には御本人も交えた企画(有償で依頼してファンサイトに掲載するイラストを描いてもらう・自分との対談形式で活動に関するインタビュー記事を掲載する・切り抜き動画チャンネルで自分との対談動画をあげる等)等も構想にあり、何年かかってでもご協力いただき是非実現させたいと本気で考えていました。
結論を述べるならば、大切な友人にはこのファンサイト・切り抜き動画・各種ファンアートには驚きと喜びの反応を見せてもらい、このサプライズは「一応」大成功しました。
この部分だけ見るならば、自分にとって忘れられない経験になりました。今こうして「セブンス・フロンティア・ロロ」が運営できているのも、友人のYoutubeチャンネルで動画投稿出来ているのも、この経験によるものが大きいからです。

軋轢の始まり(2024年11月中旬ごろ)

それから一カ月もしない翌月のことです。
当時働いていた会社に10月付で自分は部署異動となったのですが、その部署が非常に過酷な場所だったことを起因として、精神が段々病みました。
追い打ちをかけるように、当時のTwitter(X)の「おすすめ」一覧には、生成AIに対する議論と言う名の誹謗中傷合戦、誰かしらのタレントや活動者の炎上エピソードと言った、見ていて気分の悪い内容の憎しみの連鎖がタイムラインで散見するようになり、心の安寧を図っていたTwitter(X)も次第に自分の精神を蝕む空間となりました。
そんな事態に精神的におかしくなったポストばかりするようになってしまったわけですが、当時のポストを振り返るように見た所自分が酷く醜く歪んだものに見えてしまい、次第にこの空間にはいるべきではない=Twitter(X)をやめるべきだと考えるようになりました。
そのような自分の様子を見た大切な友人は、どうやら自分が自殺するのではないかと思ったようです。すごく言葉を選んで、自分のことをリプライでもDMでも励まして頂きました。これもまた事実であったのかは今となっては分かりませんが、その日は過去の経験から自分の言葉を見て怖くなって眠れなくなってしまったとまで言ってくださいました。
その時自分は、応援していた大切な友人をこのような形で追い込んでしまっていた事実が一番許せませんでした。自分はDMで謝罪して、自分がその方の負担になるような行動や言動を今度は絶対にしないと話し、お互いにこれからも楽しく絡んでいこうという結論に至り、その時は事が収まったと思っていました。

突きつけられた現実(2024年11月下旬)

上記のDM以後、表面上で自分は大切な友人とリプライでやり取りをすることはなくなりました。と言うより、自分が送ったリプライを無視されるようになりました。これは通知がエラーで来なかったとか多忙で確認できなかった等ではなく、御本人に明確に無視する意思があったと証言をもらってます。
上記の仕事で病んでいたこと以外の内容で何か気に障ることをしてしまったのだろうかと気になり、意を決してDMで問いただしてみました。するとご指摘されたのは次の三点でした。

①自分のTwitter(X)における大切な友人宛へのリプライは、10の熱量で語っていたポストに対して100の熱量のリプライで返事をしており、常に返す言葉に困ってしまっていた。Twitter(X)にかけられる時間は限られているのに、自分への返事をどうしようかと考えていたら、その時間はいくらあっても足りない。

②大切な友人がAという話題をポストしていたのに対し、自分のリプライはAと何かしらの関連があるというだけで本来無関係であるBやCの話にすり替えてくることが多く、Aの話題が一切関係ない内容で返事しないといけなくなることが億劫であった。

③このような内容をわざわざ自分に問い合わせているあなたは私(=大切な友人)に依存しているのではないか。そのような重苦しい関係でいたいとは思わない。最初友人として接していた時はこんなこと考えずに楽しく話していたのだから、それが出来ないのであれば一度距離を置くべきではないか。

これを受けて自分は、③はごもっともだと思ったものの、①と②に関しては無視されるようになった今に始まったことじゃない自分の性格やTwitter(X)の使い方の話だと思うので、2年半そういう人間なんだと割り切って我慢していたのではないかと感じました。
ただ同時に、リプライを全て無視して気分悪くさせてしまったことへの謝罪の言葉も頂きました。
また最初の頃のような距離感に戻れるのならば、楽しく会話できるはずだと言われ、自分も猛省して以前のようにまた会話できるようになりたいですとその時は話して自体は収束した…と思われました。

拒絶(2024年12月2日)

その日は出勤より2時間くらい早い時間に起きていたのですが、大切な友人がこのようなポストをしている所を自分は見かけました。

自分はイエスマンの信者が欲しかったわけではない。
必要以上に持ち上げられても何も嬉しくはないし自分は決してそんな人間じゃないと自虐し続けている。

このポストは、特定個人の人間を指した内容ではありません。
しかし、明らかに自分に向けた言葉だとその時は感じました。
普段、フォロワーへの苦言を呈するような方ではありません。少なくとも、2年半でそのようなことをしている光景を自分は初めて目撃しました。
前述の二次創作活動を自分が始めた裏で、大切な友人はずっとそんな思いを持ち続けていたことを知り、大きなショックを受けました。
同時にこんな言葉を言わせてしまうほど追い込んでしまったことが本気で許せなくなりました。
そして大切な友人は、その日の昼にある活動の無期限休止宣言をしました。
自分と言う存在が結果として彼女をどんどん精神的に追い込んでしまったことが如実に表れていた出来事でした。
どのような言葉をかけるべきなのか。だが自分は一度距離を置けと言われ今気持ちの整理をつけている身。何も言うべきではないとその時は考えていましたが・・・

自分の人生をかけた「さようなら」(2024年12月3日)

翌日夕方に、大切な友人から自分宛に次のような最期のDMを頂きました。


①二次創作活動に対して規制や制限をかけるつもりはないものの、今後一切あなたの活動に対して反応も関与もしないこと

②今後一切個人的なやり取りをDMではしないこと

③依頼については「相互フォロワー限定」で受け付けていたが、本日付で「企業」以外の受付をしない。よって、以前依頼した件については白紙にさせてほしい

以上の内容でした。
①に関しては、二次創作者が一次創作元に見返りを求めるのは筋違いであるからと言われました。大切な友人にとって、自分の活動は見返り(反応をしてもらう・特別な待遇をしてもらえる等)を求めているようにしか見えなかったとのこと。御本人が二次創作活動をされている方であるからこそ、そこにリターンを求めようとする自分の行動はもう看過できないとのことでした。

②に関しては、活動者と言う立場を自覚して1人のファンと個人的なやり取りをするのはルール違反であるからとのことでした。
これは、かつてホロライブに所属していたが契約解除となった潤羽るしあの所業が分かりやすい事例だと思います。るしあはホロメンどころか当時の全Vtuber史上最高額のスパチャ送金された実績があるのですが、その裏で彼女は高額スーパーチャットを送ったファンに対してTwitter(X)のアカウントを自分で調べ上げて個人的に連絡を取り、カバーに無許可で個別のお礼メッセージを送っていた事実を、当時高額スーパーチャットを送金していたファンの手によって暴露されています。
これは「個通」と呼ばれる立派なマナー違反行為であり、契約解除の後になってるしあは盛大なバッシングを受け、常軌を逸した金額でスーパーチャットを送るファンが侮蔑されていました。キャバクラの営業だと突っ込んでいた言葉も印象深い。
活動者はファンに平等でなければならないのは当然であり、結果として我々がDMで個人的にやり取りをしていたという事実が自分をファンとして特別扱いしていることと同義だと仰り、節度を守って自分を応援してくれている他のファンに対して申し訳ないからと、もう二度とDMで連絡しないでくれということでした。

③に関しては、実は有償でイラストを描いてもらえないかと数カ月前仲がこじれる前にDMにて打診していました。しかし、これもまた自分だけ特別扱いしているとして白紙にさせてくれと断られてしまったというわけです。

ただし、②についてはリプライ(=表面上)で無視したことは自分にも落ち度があったので、Twitter(X)で今まで通り絡んでほしいしそこは変わらず絡んでいくスタンスでいるつもりであること。③についてはコミッションサイトを今後稼働させる予定なので、依頼したいのであればそちらを利用してほしいと、一方的に完全に拒絶したわけではないことも付け加えておりました。
そもそも、完全に拒絶したいのであればこんなDM送らずさっさとブロックすればいいだけの話。
それをしなかったのは、大切な友人なりの優しさだったと自分は思っております。

上記のDMについての自分の意見をまとめます。
ただ、これから書くことは「醜い言い訳」だと言われても決して否定はしません。
まず①について、自分は大切な友人に対して見返りを求めているつもりは一切ありませんでした。
ファンサイトを作ったことも切り抜き動画チャンネルをはじめたのもファンアートを依頼したのも、全ては何もない1日としか思っていない誕生日に驚かせてしまおうというサプライズというのが全ての始まりでした。ただ、その場一発限りで驚かせて終わりではあまりに勿体ない企画だと思ったので、今後も継続してコンテンツとして提供しようと考えて結果的に「二次創作活動をはじめること」に繋がっております。
実際、ファンサイトにまとめるネタも切り抜き動画もストックはたくさんありました。
切り抜き動画に至っては完成したものの発表出来なかった動画が5本ありました。ファンアートを依頼していたものが数件あり、そちらも陽の目に出ることがありませんでした。余談ですが、それらのイラストは現在自分のPCの壁紙やスマホの待ち受けで使用させてもらっています。
例えそれらに反応せずに全て無視するのだとしても、自分は一向に構わなかったです。
しかし、大切な友人からすれば、決してそう感じなかったのでしょう。
それはひとえに自分の創作活動の展開の仕方を間違えていた・大切な友人にその意図を伝えることが出来なかったという自分の未熟さが招いたことです。
いじめた人間がいじめたつもりで行動していなければ、そのいじめは許されるのか。そんなことは決してないですよね。このお話はそれと全く同じことだと思います。自分は見返りを求めたつもりはなかったが、実際に見えている行動や態度がそう見せなかったのでしょう。
②については、実は数日前から自分も同様のことを打診しようと思っていました。
自分が大切な友人とお互い苦しい気持ちとなっているのは、距離が近すぎることにあったと思っていたからです。一度距離を置いて冷静になれれば、また元の関係に戻れるはずだと。
しかし、大切な友人はそれとは全く異なる理由を明示しました。それは、「個通」だと指摘されたことです。これに自分は目から鱗が落ちるような気持ちになりました。
大切な友人も自分も、最初は友人同士の些細な連絡だったはずが、次第に活動者とファンであるという距離感に切り替わった。それにも関わらず、DMを送り続けていることが全く変わらなかった事実がまずかった。
前述のるしあの件を思い出し、自分はなんて愚かな行為をしていたのだと恥じました。我々の内々で終わったから騒ぎにはなりませんでしたが、もし大切な友人が自分の行動を暴露するような姿勢を見せていれば、確実に自分は炎上して多くのユーザーに誹謗中傷されるような危険な行為をしていたと思っています。
ただ、理由は違えど同じことを考えていたというのは少し嬉しくもありました。こんなことで気持ちがシンクロしなくてもとは思いますが。

最終的に自分は結論として、
「自分と言う存在は大切な友人の目の前から綺麗さっぱりいなくなろう(SNS的な意味でも自分の人生的な意味でも)」
となりました。
言いたいことはたくさんありました。反論したいこともあれば、謝りたいこともあったんです。
しかし「もうDMを送ってこないでくれ(要約)」と言われてしまった以上、もう自分が何かを伝えても意味はないと感じました。自分はもうそこに存在しているだけで大切な友人を傷つけ苦しめる呪物そのもののように思えてしまいました。
そんな自分は上記の拒絶に対してどのような返事をしたのかと言うと。
捨て台詞のように前後の流れを完全に無視して、
「貴方の元から消えます。もう二度と関わることはありません(要約)」
とだけ告げ、自分は当時のTwitter(X)アカウントおよび大切な友人に関連した全ての制作物をネット上から削除しました。現状確認できるものは、Skebで描いてもらったファンアートのサンプルくらいだと思われます。
その後のことは現在においても一切存じておりません。有名な方なので、Googleでお名前を検索するだけですぐに分かるとは思いますが、意図的にしないように戒めております。「実は言わないだけでネトストでもしているんじゃないか」と思われるかもしれませんが、本当に一切存じません。

大切な友人に拒絶された事実は、自分の約2年半の活動が全て無駄な時間であったという虚無感に襲われました。
今となってはバカなことだと猛省しておりますが、アカウントを削除した時点で本気で死んでしまおうと思いました。
そして翌日に嫌なことは連鎖するのか、前職の会社で大きなトラブルを起こして休職(隠し記事第2弾参照)。
自宅で療養していると見せかけて自殺未遂を起こしたわけですね。
全てがどうでもよくなりました。全てを賭けて応援していた人である友人をこんなに追い込んで、苦しめて、傷つけた自分なんてこの世界に生きている必要はないと本気で思いました。
その後は運良く軽症ですんだ自殺未遂した時のケガもある程度治り、約1カ月休職と言う処分で自宅で療養していました。
療養期間中に自分がやったことは、自分の数少ない連絡先を知っていた仲間たちと会話をするということでした。自分の一連の行動について話し、様々な意見をもらいました。
詳細を聞かずにただ大変だったなと慰めてくれる人もいれば、自殺しようとしたことを泣いて激怒してくれた人もいました。Twitter(X)に戻ってきてほしいという言葉も頂きました。
この時の友人らの言葉が、何とか再起するきっかけに繋がりました。
自分は大切な友人との関係を失い、全てを失ったと思っていましたが、それは間違いだったと気づけたからです。

1年経って

自分の愚かしさを改めて実感しました。どうあがいても自分が全部悪い話です。
ここまで大切な友人と記述していましたが、自分はこの方に対して相互フォロワーの友人同士という距離感とは別の概念が存在しました。活動者とファンという距離感です。
大切な友人は友人同士の距離感で接してほしい気持ちが最後まで変わらなかったのに対し、自分は誕生日のサプライズを理由に二次創作活動をはじめた結果、ファンという距離感へと変貌していました。
その結果、自分は友人からイエスマンの信者と思われるような行動や言動をしてしまい、上述のDMでのトラブルの末に次第に精神的に限界が来てしまい拒絶されたのだと分析します。
その時頂いた御言葉はかなり気を遣われていたのが伺えましたし、何より自分と言う存在を手っ取り早く排除したいのであればブロック機能を使えばいいだけの話であったのに、あえてそうせずに言葉をかけてくれたという事実。最大限譲歩した上で自分の身を案じてくれていたことも分かります。
しかし、自分はそんな気持ちを踏みにじるかのような対応をしました。軽蔑されていてもおかしくはないでしょう。
どうすればよかったのか、どうすればこんなことにはならなかったのか。
自分はずっと考えましたが、未だに答えは出ていません。
出会ってしまったことがそもそもの間違いであった、という結論にしか辿り着けません。
仮にこの一件がなかったとしても、友人とファンの距離感を混同してしまった自分は、遅かれ早かれ大切な友人の元を去っていたとも思っています。
自分がTwitter(X)でアカウントを消したのはこの時が4回目。
プロフィールの年表にも軽く理由は記載していますが、過去3回も似たような理由でフォロワーとトラブルを起こして絶縁するジンクスがありました。
大切な友人は4回目のアカウントにおける最初の相互フォロワーだったと前述していますが、大切な友人ならばその3回分の過去のジンクスを破ってくれると思っていました。しかし結果はご覧の通りです。自分のTwitter(X)と言うSNSを使う適性の異常なまでの低さを実感させられました。

そしてセブンス・フロンティア・ロロへ(2025年1月1日~現在)

このHPは2025年1月1日に仮オープンしました。一連のトラブルから約一ヵ月後の出来事となります。
一連のトラブルから一時的にネットから消えており、そのまま永久に消えおうと当初は考えていました。
しかし、その間に仲間たちとの対話を通じて、自分の一次創作を発表すべくもう一度やり直したいという気持ちが生まれました。
このサイトは前述の大切な友人の非公式ファンサイトを制作した経験を元にデザインしています。
勿論掲載内容は全くの別物ですが、この経験があったからこそ何とか形として運営できています。
他にも、コミッションサイトを通じて一次創作のキャラクターを描いてもらう企画も不定期で開催していますが、これも大元は大切な友人の非公式ファンサイト内の二次創作ファンアートを描いてもらう企画と、依頼から掲載までの流れ自体は一緒。
このように、このHPは大切な友人に関する活動を通じて得た経験を踏まえて運営しています。
「出会わなければよかった」と前述していますが、同時に大切な友人と出会っていなければ今こうしている自分もいなかったのもまた事実です。
突然ですが、自分はネットミーム的な意味での「黒歴史」という概念が大嫌いです。
自分の経験や出来事を1つでも欠けてしまえば、今の自分なんて絶対にいないからです。
黒歴史と嘲笑している出来事にだって、今そこで語っている自分を形成する経験が蓄積されているはず。
自分の行動をなかったことになんてできないので、自分は今までの人生の経験を堂々と明かしています。
この件に関してもそうです。勿論大っぴらに話すべきでない内容はあるので話していないことや住み分けはしていますが、自分は最初から全てなかったこととしては扱っていません。この文章を読んだうえで「プロフィール」のページをもう一度読んでみてください。大切な友人のことに軽く触れていることが分かると思います。
そういえば、このHPを本格オープンした時の記事に次のように書いていました。


まず自分は去年、誰かが喜んでほしいと思って全力で活動していたことがありました。
しかし、最終的にその誰かを悲しませるようなことをして、その人と決別する形でさよならしました。
その反省から、「自分が楽しければそれでいいこと」=「やりたいことをやりたいようにやること」を一番重きに活動することにしました。


今もその考えは変わっていません。
誰かの為じゃなく自分の為だけに活動する。
もうこれ以上、自分のせいで苦しむ方なんていない世界に。

今回は、このHPの原点の出来事を、懺悔のような形でまとめました。
特にオチ等はありません。ただ最後に、これだけは言わせてください。

大切な友人へ お誕生日おめでとう。

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