SHIN Vol.26 仕事辞めました!

 

はじめに

本題の通りの話をするんですが、プライベートの話だし特に面白味もないので閲覧は非推奨。
後半の部分は特にそう思ったので別ページで隔離しています。
特定とかは絶対にされたくはないので、それらが分かるような内容は意図的に書いていません。
当たり前ですがこういった不特定多数の人間が見るかもしれない空間で、業務内容の詳細なんかをまとめるような行動は、最悪会社側に訴訟や社会的制裁を受けるリスクが高いです。
もちろんそんな内容は一切まとめてませんし、何より自分は告発や暴露がしたいからこの記事をまとめている、という意図は全くございません。
ここは自分の人生を形にしてまとめる空間という側面もあるので、こういう経験もあったんだということをまとめています。
そこだけははじめにご理解頂きたいです。
また、具体的な部分は明かしませんが、誇張した表現や虚偽の内容も含めておりますが、それは意図的なものです。
もしかしたら全ての内容が虚偽かもしれないくらいの気持ちで興味があるなら読んでいただければなと思います。


経歴

まずこのHPの「プロフィール」に自分の明かせる範囲での人生年表まとめてるんですが、以下引用。

2017/8 24歳/フリーター 当時4年ほどアルバイトで働いていた某スーパーにて正社員に昇格
2018/1 24歳/社会人 働いていた先輩社員の店長が夜逃げしたため、店長代理に任命される
2018/5 25歳/社会人 アルバイト時代からしていた貯金が目標金額に到達したので、長年の悲願であった上京をすべく退職を決意
2018/6/24 25歳/社会人 25年暮らした北海道札幌市を離れ、神奈川県横浜市に引っ越す
退職時の取締役の一言で某スーパーの関連会社(別部署)へ異動する

 

2015年にアルバイトで勤務→2年後の2017年に正社員に昇格
→1年後に異動という名目で札幌から横浜にある関連会社にて働きはじめる

 

以上が自分の社会人労働経歴なんですが、本日その会社を退職しました。
正確には名目上7月31日付で退職扱いなんですが、有給消化の兼ね合いで実質今日が退職日のようなものという感じ。
正社員時代は約7年アルバイト時代含めれば約10年働きました。


色々言いたいこと

正直ここまで続くことになるだなんて、働き始めの頃は想像だにもしていませんでした。
実は遡ること4年前の2021年の6月に一度辞めようと思ったんです。
そのきっかけは、上記の年表に記述している取締役がこの年に持病で亡くなったから。
この方は札幌にいた時代からまるで息子のように自分を可愛がってくれました。
「会社で全額負担するから来い!」の一言でお偉いさんがたが集まる飲み会に何度も連れて行ってもらったり、本来上司しか行かないような出張やイベントなんかにも「お前が必要だから」という理由で連れて行ってもらったことが何度もありました。
本来関係ないだろう平社員だった自分にそこまでしてくれたのは、亡くなった後に別の上司から聞いた話だと「それだけお前にあの人は期待していたから」と言われました。
そんな自分に期待してくれた人が、いつも休憩時間で互いに顔を合わせて色んな話をした人が。
ある日突然さよならも言えないまま会社にその姿を二度と見せることはありませんでした。
それはまるで、自分が聖書と崇める「ヒカルの碁」のヒカルと佐為の別れを初見で読んだ時にも感じたあまりにも大きすぎる喪失感でした。

丁度この時期は、を賭けていたと豪語するほど熱中していたマイキャラ二次創作の筆を折った時期にも重なっていて、生きている意味が分からないと本気で迷走を極めていた時でした。
そして同年10月ごろにホロライブに出会ったことも前述の「プロフィール」にまとめているんですが、冗談抜きでホロライブに出会えてなかったら、そのまま仕事を辞めて自分も取締役の後を追っていたかもしれません。
それだけ人生で現状では2番目に絶望のどん底に落ちていた時期でした。
しかし、ホロライブとの出会いは、同時にこの会社で頑張って働こうかなというきっかけにも繋がっています。
それだけ自分に期待してくれた人がいたのだから、働き続けていれば結果が出るかもしれない。
辞めて再スタートするよりもっと頑張ろうと考えることで続けることにしたのです。
誇張抜きで、ホロライブは自分の命を救ってくれた救世主とも言える存在でした。

さて、そんな取締役が亡くなってから、約4年という月日が経ちました。
そして今年に入ってからの自分は「地獄の掃き溜め」と言いたくなる部署に飛ばされてしまい、過酷極まりない環境に身を置き続けていました。
働いている人も4年前とは全く変わってしまい、現在は取締役の存在すら知らない人ばかりの職場となりました。

そして今年のある日のこと…過酷すぎる現場に疲弊して死期すらも感じていた時のことです。
自分の夢の中に、なんと取締役が現れてくれました。
記憶に残っているのは、自分が飲み会の時や休憩室でアイカツの話をしている自分に対して見せていた「何の話をしてるんだこいつは」と言わんばかりの何とも言えないやれやれな表情をしていたことです。
そして目が覚めた時、自分は退職しようと決心しました。
これも例えるならば、「ヒカルの碁」でヒカルが佐為の喪失から吹っ切れた後に佐為が夢の中に現れて、何も言わず佐為がヒカルに扇子を渡したシーンに既視感でした。

 

今までの自分は、根底に「取締役に認められるような人でありたい」という気持ちがありました。
しかし、亡くなって4年という月日が経って、いなくなってしまった人=過去に囚われ続けるべきじゃないとやっと思えました。
辞めようか迷っているタイミングにこうして夢に現れたのは、取締役なりに自分のことを心配して「もう俺のことは気にするな」って言ってくれたんじゃないかって、ふと思ったんです。
本当に夢の中でそう言ったのかは分かりませんが、都合よくそう解釈することにしました。
また、同時に働き始めで緊張している自分に対して取締役が最初に言われたこともふと思い出したんです。
「やめたかったらさ、いつでもやめてもいいからね。お前が一番だと思う道で生きなさい」
今がまさにこの言葉の通りにするべき時が来ました。

全く後悔はないです。
むしろ、本来4年前に辞めるはずだったのに、4年もよく頑張ったくらいにポジティブに考えています。
これからについては、全く考えていません。
ただ、生きていくためには労働しなければならないのは間違いないので出来ることならすぐにでも転職したいと思っています。
自分は転職はおろかアルバイト上がりでそのまま正社員となった会社でずっと働き続けていたため、就活の経験が一切ないです。
周りには転職はデメリットの方が遥かに多いと聞いていますし、仮に決まったとしてもすぐに辞めてしまうのでは…という不安も全くないかと言えば噓になります。
まずは我武者羅にやってみて、自分にとって生きやすい環境を何としても作っていきます。経験値を積めば強くなるってのは自分の好きなゲームで学んでいることだしな!現状を変えたいなら、自分から動かなきゃ何も変わらないんですし。
後ろ向きな形で退職したかもしれませんが、気分だけは前向きです。
生きていれば色々あるし、きっと何とかなるの精神で、頑張っていきましょい!

上京するきっかけをくれてかつ、辞めるきっかけをくれた(と勝手に思っている)亡き取締役に最大限の感謝を想いつつ。転職先が決まったらまた報告します。
ひとまずここから2週間は有給消化期間なので、これでもかってくらい遊び倒したいと思います。

余談

ページのサムネイルにしている写真は、退職日に帰る直前になって同僚一同から頂いた商品券です。なんと2万円。
辞める時から数えて3つ前はその同僚らと全く同じ部署で働いていましたが、まさかこんな選別を貰うとはと本当に驚きました。
特定個人の誰かと険悪なまま辞めた訳ではなく円満に退職することが出来たことは、本当に良かったことだと思っています。


もう1つ。「プロフィール」ページの冒頭に書いている
「2024年12月4日に人間関係の9割を捨てて職場もクビになるという、ほぼ全てを失い生きる意味を一度失いかけたが、再起すべくHP開設をした流浪の旅人。」
という記述については上記を読めばわかると思うんですが、(半分)嘘です。
これ書いていたのが出来事のあった数日後とかで自分としては本気でクビになったと思っていたんですが、その数日後にクビにするといった上司よりさらに上の方に、
「そいつ(=クビにするといった当時の上司)にそんなことする権限はないし俺がそんなことさせない
と言われ、クビは免れたというのが実情。クビにすると勝手に自分に言った上司は厳重注意されたとも聞いております。
そして約1カ月の休職状態からの、2025年1月付で復帰したという流れなので部署が変わっただけで同じ会社への勤務自体は続いていました。
修正してもいいんだけど、当時の自分は地位も仲間を何もかもが失ったことは事実なので、この方がHPをはじめた理由としては分かりやすいかなと判断して、あえてそのままにしています。

ここからの話は別ページになります。
何の面白みのない内容がさらに続きます。
興味があれば読んでみて頂いてもいいのかもしれません。それでは。

 

中身が虚無なつづきを読む


2025年07月16日